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層雲自由律 最新号 紙面ご紹介(一部)

作品抄 編集部薦(p2掲載)

■ 過去の破片に居場所はなかった
■ 若さも子も無く 涼しく命一つ残り
■ 意思貼り付きはじめた少年の扉
■ ゴマメの歯ぎしりして草むしる
■ ことばが黙ってしまった
■ 誰もいないサッカー場でころがっている、ゼロ
■ 壁 壁 壁 白の連想
■ 月の姿を決心とする
■ 月がのぞく 一人暮らしカーテンしめよう
■ 餌ねだる子つばめの大きな口だ
■ コツンと罅入れた卵の軽い朝を割る
■ さえずりの中に 何やら電子音
■ 好物供え 声に出し長々話す祥月命日
■ 噴水の交叉する会話
■ ゴーヤ熟れ夕日吐き出す
■ 焼け焦げたカメラの遺言
■ 額縁の中で 女が泣き止まぬ ピカソ


近木 圭之介
松原 トヨ子
いまきいれ尚夫
新城 宏
中條 恵行
藤田 踏青
藤本 経子
黒崎 渓水
山上 清子
木本 千鶴子
久光 良一
西川 ふじ子
中根 喜代
坂口 喜代子
野間 元祐
伊藤 完吾
もりたえいいち



ひとこと

自由律シリーズ作品「私」の句

内部で評価の高かった句を挙げてみます。

我顔寄せてこれぞいまはの母の顔 荻原 井泉水 大正13
あすは元日が来る佛とわたくし 尾崎 放哉 大正15
どうしようもないわたしが歩いてゐる 種田 山頭火 昭和 5
うどん供えて、母よ、わたくしもいただきまする 種田 山頭火 昭和13
いましわが伐る木の静けさを仰ぎたり 栗林 一石路 大正 6
小鳥唄わせ貧しき国の吾は女王 荻原 桂子 大正12
おのれ葬りたしわが悲しみ風化する前 松尾 あつゆき 昭和46
私の内なる丘の春靄に蒼き鹿立てり 飯島 翠壷洞 昭和56
風が無数の風の中から私を吹く 近木 圭之介 昭和58
お茶をついでもらう私がいっぱいになる 住宅 顕信 昭和63
私の中では海鳴りはもう消えていた 伊藤 完吾 平成 2
あの角曲るとわたくしB面暮し 小川 未加 平成 9
亡友死んだふり オレ生きてるふり いまきいれ 尚夫 平成12

(詳しくは、層雲自由律誌74号に掲載)


自由律の句を書こうとされる方なら、自分のことを書いてみようと思わない人はいないでしょう。まして自由律俳句の指導理念には「自然・自己・自由」の三位一体境という言葉がある位ですから、その中の「自己」を基にした「私」(わたし、我、吾)といった言葉を使った作品は、おそらく沢山出てくるだろうと、高を括って調べはじめたのですが、最初の大正期でまずつまずいてしまいました。

俳句の季語に代るキーワードに着目した『現代俳句キーワード辞典』(夏石番矢著)では、「われ」と「わたし」は別項目になっていて、「われ」には17句も例句があるのですが、「わたし」の例句はたった3句しか載っておりません。その最初の句は今回のシリーズでも最高推薦票に挙げられた、山頭火の次の句でした。

どうしようもないわたしが歩いてゐる 山頭火

その理由として第一に考えられることは、当時の自由律作品も、まだ文語体が主体だったため、自己の表現には口語表現の書き言葉として使われる「私」は、無理だったのではないかということです。そういう意味では、自由律俳句口語化の役割を果たした、放哉と山頭火の当時の作品は大きな意味があったと言えます。

 
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