インターネット創作研究
層雲自由律誌とトピックスご紹介

層雲自由律 最新号 紙面ご紹介(一部)

作品抄 編集部薦(p2掲載)

■ 夜明り 俺のリズムを裂くな
■ 戦い 日輪の中の黒点
■ 雨上り節穴が見せた逆さの美郷
■ ぎんこうの 帳簿は 赤くなったり
  黒くなったり
■ 樹のたおれる叫びに木陰が逃げる
■ 沈黙の裏にある座れない椅子
■ 山があり水が流れて人が生きている
■ めんどりの座して二十一日達磨の相
■ 一歩だけ、春が助けてくれますか。
■ 植木市に紛れ込んだ落ち着かない蝶である
■ 母亡き家の 黒い電話が鳴っている
■ 枕にするには低すぎる 『人間失格』
■ 褪せた夢 獏に喰わせてやり直す
■ 被写体の蝶 待てどピントにおさまらず
■ 無人の駅の花吹雪 子を発たす
■ 一本の枯れ木の祈りにであった
■ 人生を騙しだまして遮断機が降りる


近木 圭之介
いまきいれ尚夫
中條 恵行
もりたえいいち

高田 弄山
藤本 経子
南沢 延江
新城 宏
浅沼 道子
木本 千鶴子
高木 千恵
榎本 忠洋
野村 稲波
山下 静波
田村 やすを
比田井 白雲子
野村 稲波



ひとこと

自由律シリーズ作品「壁」の句

内部で評価の高かった句を挙げてみます。

壁の新聞の女はいつも泣いて居る 尾崎 放哉 大正14
深夜の壁が咳する 下山 逸蒼 大正15
月のある壁の白い随想 近木 圭之介 昭和23
壁にモナリザを貼りむずかしい年頃 松尾 あつゆき 昭和45
花屋の壁にイラストの太陽頬笑んでいる 伊藤 完吾 昭和51
誰もいない壁に近く坐る 住宅 顕信 昭和62
別離。残されたカベの丸文字 小池 八巧水 平成 9
這いあがっては心の壁をぬりかえる 中谷 みさを 平成10
壁 まず壊してからの展望 いまきいれ 尚夫 平成13

(詳しくは、層雲自由律誌73号に掲載)


 放哉の句は最晩年の小豆島南郷庵での作。その壁に貼られた古びた新聞の女の顔は、たぶん先住者が貼ったままにしていったものでしょう。そんな女の泣き顔でさえ、独り身の慰めになっていたようです。放哉自身もまた句友から送られてきた小便小僧の絵を壁に貼り、日々眺めていたらしい記録があります。
 一方、人妻との恋に未練を残しながら、病んだ脚をひきずり北米西海岸の地を放浪し続けた逸蒼が、ようやく日本字新聞の校正係りの職にありつき、サンフランシスコのアパートに一人住まいをしていた時期、同じような境涯で果てた放哉に魅かれたのか、しきりとこのころ短律作品を作っています。次の句も作品名を伏せて並べたら、放哉作かと思うほど作風が似ています。

  年の終りの爪でも剪さもか    逸 蒼
  年の終りの海鳴聴いている
  砂山で別れ話となった

 小池八巧水作品の鑑賞文は、偶然にも彼の追悼ページと重なってしまいました。まだこれからと言う彼の才能が発揮されないままの死が、返す返すも残念です。ただ、「カべの丸文字」の句が、単に別離の哀しみだけではない頬笑ましさを持っていることに、救われる思いがしました。
 尚夫句の「壁」は現実と抽象の壁が重なって考えられる不思議な句だと思います。